「憧れの人」と「虚像」を無理やり繋げた迷文

憧れは、理解から最も遠い感情だよ。
ーー久保帯人BLEACH』 より


「憧れ」という感情は、時に人の目を曇らせてしまうらしい。
どんな英雄的な人間にも、欠点がある。失敗もある。彼らなりの一つの人生がある。その点では、英雄は我々普通の人間と全く同じと言っていい。
そして、そのことを理解できない者だけが、彼に無条件の「憧れ」を注ぐ。その英雄の「実像」を、本当の意味では知らない者だけが。

「憧れる」という動詞の起源は古語「あくがる」で、もともとは「魂などが持ち主の身体を抜け出てさまよい歩く」ことを指していたらしい。そこから「心ここに在らず」の意味が生まれ、まもなく「上の空になるほど何かに憧れ没頭する」の意味に転じたという。
誰かに憧れる人の心は持ち主のもとを離れ、遥か現世を脱して、どこか遠く別の世界にある英雄の「虚像」に思いを馳せているのかもしれない。

僕の憧れの人というのは、昔読んだ本の中にいる。
その人は自分が周囲からどう見えるか、どう振舞うべきかを完璧に熟知しており、その身の処し方はもはや芸術的ですらあった。僕は彼女に強く惹かれ、憧れ、時には真似をした。道に迷った時は彼女の事を思い出し、彼女だったらどうするかを一番最初に考えた。そうやって、成長してきた。
彼女は本の中の人だ。したがって、彼女について本に書かれていることは本の中では全て事実だし、書かれていないことは嘘だ。僕が憧れたのは本に書かれたままの彼女であり、彼女の虚像ではないーーと、苦しい言い訳を並べてみる。

しかしこの本の作者というのが困ったもので、上巻と中巻はすでに出版されたのだが、なかなか下巻を完本しない。まるでどこかのーーやめておこう。
下巻のラストシーンでの彼女は、どんなだろうか。ひょっとするとラストで彼女の生き方は否定され、彼女は醜く泣き叫ぶかもしれない。情けなく嘆きわめくかもしれない。ラストを読んでいない僕が語る彼女は、やはり虚像に過ぎないのかもしれない。
でも、もし虚像だとしても、彼女に憧れて高揚し、時に彼女を真似ながら、背伸びした気分になったあの日の僕自身は、決して「虚無」ではなかった、と信じたい。
憧れという感情はもしかすると、ここではないどこかの世界にある虚像に向かって、目いっぱい背伸びして届かない手を伸ばす、そんな儚い営みなのかもしれない。

劇団綺畸に入るきっかけになったのは、去年の新人公演の映像を見て、「何かかっこいい〜!」と憧れたことだった。
そこで抱いたほのかな「憧れ」が、正しかったり、正しくなかったりしながら、僕は今も、ここに立っている。

もしもこの新人公演の中で僕が、次なる新人にとっての、あるいはこの劇を観る人にとっての、せめてもの「虚像」に、なれたとしたら。

役者・映像・web
加茂周

 

 

 

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劇団綺畸2017年度新人公演
『虚像を抱いて死ね』
作・演出 黒橋拓
3/17(土) 19:00 3/18(日) 14:00/19:00
於 駒場小空間
全席自由席
入場無料・カンパ制
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