僕と彼女と三・四番

 小学校五年生のころの僕はいつも「やや太っている」と「ふつう」の境界線上にいた。クラスでは二番目に身長が低かったわけだから、ぽっちゃりチビだったわけである。家に体脂肪率を測ることができる体重計がなかったので確かな値はわからないが、実際に測ればおそらくそれなりの値が出たのだろう。母親からは「男の子は中学生に入って成長期になれば縦に伸びるから大丈夫」と、与えられるお菓子と同じくらい甘い言葉をかけられていたが、あまり信用はしていなかった。たぶんクラスメイトのうち体脂肪率で僕に勝っていたのは、三番目と四番目に身長の低い男子だけだった。彼らを仮に三番と四番と呼ぼう。僕ら三人はスポーツを嗜まない者同士仲が良く、しばしば四番の家でテレビゲームで遊んでいた記憶がある。

 当時僕は『ドラゴンラージャ』というファンタジーシリーズを読んでいた。僕に先駆けてそのシリーズを読んでいたのが彼女だった。しかし、彼女のすぐ後ろを僕が追いかけていたわけではなく、僕と彼女の間には見えない読者がいた。つまり、彼女が8巻を読んでいるとき、その読者が必ず7巻を借りていて、僕は6巻を読み終わってもその謎の読者が7巻を読み終わるのを待たねばならなかった。僕がその読者に足止めを食らっているうちに彼女は最終巻まで読み終わってしまった。彼女と僕は本の話題を通じてコミュニケーションをとっていたので、彼女は次に読み始めた『都会のトム・ソーヤ』シリーズのことを楽しげに僕に語りかける。謎の読者に焦らされ続けた僕は、彼または彼女が最終巻を返却したその日にそれを借りて流し読みし、返却して『都会のトム・ソーヤ』の第一巻を借りたのだった。

 彼女は肥満気味の僕とそのようにコミュニケーションを取るくらいには分け隔てのない性分だったので、やはり三番と四番とも仲が良かった。三番は小学生にしてすでに女子との会話に障壁があったように思われる。そんな彼がクラスで唯一談笑できる彼女に対して特別な感情を抱かないはずもなかった。ある日学校に行くと、当時すでにインターネットに触れ始めていた小学生の間で流行していた「脳内メーカー」の診断結果を三番が印刷して持ってきていた。もちろん名前を入力するだけで結果が表示されるような「診断」とも呼べないものではあったが話のタネにはなる。

 彼は男友達と、彼女の分を印刷してきていた。今になってみれば、小学生の最高機密である「誰のことが好きか」が明白に露呈される行動を、なぜ彼はそんな軽はずみに取ってしまったのかと疑問を呈したくなる。しかし、それはそれとして、僕は焦っていた。そんなカタカナ言葉は当時は知らなかったが、三番が「アプローチ」をかけたように感じていたのだ。三番ほど明白な行動は見せなかったが、今になって思えば四番も彼女に特別な感情を抱いていたように思う。肥満児三人が会話の一枚下、というよりは意識の一枚下で彼女の取り合いを行っていた。

 もちろん僕ら三人のうちに告白をするような猛者はおらず、結局六年生になって4人ともバラバラのクラスに分けられてしまった。よその教室に入るのは悪だという絶対のルールがあった小学校時代の僕と彼女が、図書室の本について会話を交わすようなこともなくなった。

 中学校は、三番と彼女は同じだったように思うが、僕と四番はそれぞれ別の学校に入学した。しかし、三番が彼女と何かあったというようには、そうであった場合の嫉妬の念を抜きにしても、想像できない。逆に僕の頭にしばしば思い浮かぶのは、あの日の前夜、母親か父親にやり方を聞きながら、彼女の名前を打ち込んだ脳内メーカーの結果画面を彼女の反応への期待を膨らませながら彼が印刷している光景である。幸いにして、彼女との会話をシミュレートしながらにやけ顔で『ドラゴンラージャ』を読んでいた肥満児の顔は頭に浮かんでこない。

 その後の三人の消息はほぼ何も知らない。地元の成人式にも出なかった僕にはもうそれを知る機会はないだろう。中学時代、どうにかして手に入れた彼女のLINEの、プロフィール画像に設定された浴衣を着た彼女の姿と、彼女に会おうとして送ったみっともない僕のメッセージだけは、鮮明に僕の頭の中に残っている。今その連絡先にメッセージを送っても届かないだろうし、その方が僕のためでもあるように思われる。あの丸い顔の少年が彼女をその自意識に抱いたままどこかで眠っていることは、僕にとっての幸せだろう。

 

役者・映像 中村光